異類婚姻譚

芥川賞受賞

異類婚姻譚本谷有希子

タイトルと著者名だけでもう好きになっていた、これは受賞してしかるべきだと。
そう安堵して読んでいなかった、なのになぜか読んだつもりになっていた一冊。
でも読んでみたら意外と今ひとつだった。あれ。本谷さんは映画「腑抜けども、」をきっかけに知り、奇譚ものも好きなので期待していたのだが、肩透かし。

最近芥川賞本をなぞって読んでいて、火花あたりから、どうも選書の傾向が変わったように思う。芥川賞って、娯楽やファンタジー要素を嫌うイメージがあったのに、笑いも高度な文学である、という位置づけなのだろうか。異類婚姻譚はファンタジーも娯楽もあるので特に違和を感じる。
これが受賞するなら、乙一の別名義あたりが受賞しても良いのではと思うのである。

(以下結末に触れています)




異類婚姻譚がファンタジーに見えてしまうのは、現実とファンタジー部分の切り替えが唐突で、繋がっていないからだろう。
まず異類婚姻譚というタイトルから幻想的なイメージを持ち、しかし出だしはかなり現実味のある叙述で、ああ「異類」「譚」というのは比喩的表現で日常のおはなしなのかと思う。そう思わせたのちに、後半いきなり話が飛翔していく設計なので、そりゃないでしょう、となる。夢オチよりもひどい。
むしろ単行本に同載されている「藁の夫」のほうがまだ文学的には洗練されているように思う。夫の中身が楽器以外のものだったらなお良し。しかしこの楽器っていうのも根っこのないアイデアで、なぜ唐突に楽器?と思うのだ。どうにも小道具がイメージ画像ぽくて、俳句をはじめたばっかりのひとの五七五みたいなんである。

「犬たち」「トモ子のバウムクーヘン」に至っては、中ニ病ですか...と訊きたくなるお話で、本谷さんってこんな感じだったっけ...と戸惑うのである。「トモ子とバウムクーヘン」は出展をみると早稲田文学01とあったので、ああやっぱり、そっち系かい、と納得する。
あとで芥川選者の「自意識が過ぎる」だったかの評を見て、言い得てる、私もそれを言いたかったんです、と共感した。

居心地の悪い結末を除けば、というかそこに到達するまではすごく面白い小説だなと思って読んでいた。とくに旦那氏とサンちゃんなど人物の描き出しはすごく良いなあと思う。リアル。
ドッグランのガラスのあたりとか、状況描写が説明不足だなあと思うのだが、戯曲世界の人だからかもしれない。

私はオチが消化できず、これは比喩表現で、サンちゃんが旦那氏を殺して埋めた横に、ちょうど旦那氏が殺して埋めた元妻が竜胆として咲いていたのだと曲解していた。
本当によくわからないので二周読んだ後、まあ字面のまま、人が花に変身したんだ、と考えるのが妥当という結論に至ったのだが、それにしたら本当にチープなオチだなあと思うのである。
純文学自体がオチなしで不安定を残したまま、その後の選択を読者に委ねるような面があるので、しっかりオチをつける、それで受賞する、受賞させる、というのが反骨といえばそうなのかもしれない。

メモ

  • アライ夫妻は、石のかわりに「サンショ」を間に置いたのだよね、だからサンショが狂った、そして海外での置かない選択に戻る
  • 旦那が名前を持たず、最後まで旦那氏だったのと、サンちゃんというあだ名、サンなんとかっていう女性名ないでしょう、夫やご近所さんにまで呼ばれるあだ名の出どこはどこだろう、それが気になった
  • 旦那を元妻のところへ返した、その比喩表現という解釈を見て、ああなるほど、そうかもしれない、その見解は素晴らしいと思った。私は殺しありきで考えていたから

追記

  • 蛇ボールがよく賞賛されているのだけれど、小さい頃から知っている昔話でものぐさ蛇というのがあって、まさに蛇ボールのストーリーであり、一般的にはものぐさ蛇って有名じゃないんだ...と逆に衝撃を受けた。