zuwaigani3のブログ

個人の感想文です。ひとり読書会。

今日は会社休みます 13 (完結)

13巻が届いた、これが最終巻らしい。
表紙がカジュアルウエディングふうの衣装で可愛い。最初は変な設定のマンガだな...と思いつつ、最終巻まで付き合った。

13巻のお話自体は卒なく中身もなく、結婚までの日常を綴っているだけでたいして面白くない。朝尾派なので、朝尾さんの番外編も欲しかったけど、そういうのもなかった。

全体的に内容のペラペラ加減にエッこれだけ?これでおしまい?と肩透かしだが、長期連載の総まとめとして、お布施巻でもまあいいか。

結婚式直前に、田之倉(兄)が突然でてきたのが失笑。花笑すら知らなかった兄。結婚式の準備してれば、席次表で気づきそうなものだが。この唐突な入れ込み具合からして、田之倉兄による「今日は会社休みます。」スピンオフか第2章狙ってませんか...
あと、「今日は会社休みます」という台詞でラストを締めたいがための、休暇届け忘れと、新婚旅行なし設定。新婚旅行へ行かせてあげてください。あ、新卒の田之倉君に有給ないのか...

異類婚姻譚

芥川賞受賞

異類婚姻譚本谷有希子

タイトルと著者名だけでもう好きになっていた、これは受賞してしかるべきだと。そう安堵して読んでいなかった、なのになぜか読んだつもりになっていた一冊。でも読んでみたら意外と今ひとつだった。あれ。
本谷さんは映画「腑抜けども、」をきっかけに知り、奇譚ものも好きなので期待していたのだが、肩透かし。

最近芥川賞本をなぞって読んでいて、火花あたりから、どうも選書の傾向が変わったように思う。芥川賞って、娯楽やファンタジー要素を嫌うイメージがあったのに、笑いも高度な文学である、という位置づけなのだろうか。異類婚姻譚はファンタジーも娯楽もあるので特に違和を感じる。
これが受賞するなら、乙一の別名義あたりが受賞しても良いのではと思うのである。

(以下結末に触れています)




異類婚姻譚がファンタジーに見えてしまうのは、現実とファンタジー部分の切り替えが唐突で、繋がっていないからだろう。
まず異類婚姻譚というタイトルから幻想的なイメージを持ち、しかし出だしはかなり現実味のある叙述で、ああ「異類」「譚」というのは比喩的表現で日常のおはなしなのかと思う。そう思わせたのちに、後半いきなり話が飛翔していく設計なので、そりゃないでしょう、となる。夢オチよりもひどい。
むしろ単行本に同載されている「藁の夫」のほうがまだ文学的には洗練されているように思う。夫の中身が楽器以外のものだったらなお良し。しかしこの楽器っていうのも根っこのないアイデアで、なぜ唐突に楽器?と思うのだ。どうにも小道具がイメージ画像ぽくて、俳句をはじめたばっかりのひとの五七五みたいなんである。

「犬たち」「トモ子のバウムクーヘン」に至っては、中ニ病ですか...と訊きたくなるお話で、本谷さんってこんな感じだったっけ...と戸惑うのである。「トモ子とバウムクーヘン」は出展をみると早稲田文学01とあったので、ああやっぱりそっち系かと納得する。
あとになって芥川選者の「自意識が過ぎる」だったかの評を見て、言い得てる、私もそれを言いたかったんです、と共感した。

居心地の悪い結末を除けば、そこに到達するまではすごく面白い小説だなと思って読んだ。とくに旦那氏とサンちゃんなど人物の描き出しはすごく良いなあと思う。リアル。
ドッグランのガラスのあたりとか、状況描写が説明不足だなあと思うのだが、戯曲世界の人だからかもしれない。

私はオチが消化できず、これは比喩表現で、サンちゃんが旦那氏を殺して埋めた横に、ちょうど旦那氏が殺して埋めた元妻が竜胆として咲いていたのだと曲解していた。
本当によくわからないので二周読んだ後、まあ字面のまま、人が花に変身したんだ、と考えるのが妥当という結論に至ったのだが、それにしたら本当にチープなオチだなと思う。
純文学自体がオチなしで不安定を残したまま、その後の選択を読者に委ねるような面があるので、しっかりオチをつける、それで受賞することが反骨といえばそうかもしれない。

メモ

  • アライ夫妻は、石のかわりに「サンショ」を間に置いたのだよね、だからサンショが狂った、そして海外での置かない選択に戻る
  • 旦那が名前を持たず、最後まで旦那氏だったのと、サンちゃんというあだ名、サンなんとかっていう女性名ないでしょう、夫やご近所さんにまで呼ばれるあだ名の出どころはどこだろう、気になった
  • 旦那を元妻のところへ返した、その比喩表現という解釈を見て、ああなるほど、そうかもしれない、その見解は素晴らしいと思った。私は殺しありきで考えていたから

追記

  • 蛇ボールがよく賞賛されているのだけれど、小さい頃から知っている、ものぐさ蛇という昔話があって、まさに蛇ボールのストーリーであり、一般的にはものぐさ蛇って有名じゃないんだ、というのを知った

コンビニ人間

面白かった。
まず、出だしが良い。数ページ引き込まれる。途中、ひねりのない会話が続いて肩透かしを食うのだが、その抑揚のない意味のなさそうな会話もちゃんとシークエンスになっていて、あ、やられた!と思う。最初は表現が稚拙なのだが、それすらも接点を持つ人間たちのコピーなのである。作者の本来の力量が相当高いことは、のちに登場する人物らの巧みな綴り分けからうかがえる。

主人公はおそらく発達障害なのだろうけど、その思考回路の描写もみごとだし、バーベキューでの会話、白羽の言動のすべて、よく炙り出しているなあと思う。

周囲の人間の喋り方が混ざっていく、
結婚も就職もしていない者は、異物とみなされ排除される、
白羽の台詞のすべて、
とくにこれらの表現が良い。

記憶を重ねあわせるような技法も素晴らしかった。甥っ子を見てナイフを見留めたときに幼少の超合理的な行動が思い出されたり、最後に恵子がスーツ姿でコンビニの棚を直してたときに冒頭の店員ぶるおじさんのことが思い出されたり、文字にせずとも想起される。
この文字にないが勝手に想像して補完する、のがまさに普通人間の行動なのだろう。恵子は淡々と生活しているのに、読者が先を考え心配をし、はらはら、やきもき読み進めるのだ。

恵子からみた世の合理と不合理を見るうちに、「定型発達という発達障害」の話を思い出す。現代は定型発達、人生の定性を求められる。空気を読み、共感性をはぐくみ、仕事か子育てに邁進しなければならない。その社会性と同調性は進化論として果たして正しいのか。白羽の縄文時代ではないけれど、もっとプリミティブな時代や土地に生きていたなら、きっと恵子のほうが子孫を残すべき優生対象になろう。

第155回芥川賞受賞作。受賞のニュースをみて購入したものの、ながらく積読していた。もっと早く読めば良かった、良作だった。

裁判官の爆笑お言葉集

爆笑というほどではなく法廷という空気のなかで、ウィットに富む言葉選び、記憶に残る言い回しした判決集という感じ。自分の審判の際には、面白くなくて良いから、真面目な裁判官に当たりたい。

スクラップ・アンド・ビルド

第153回芥川賞受賞作。「火花」と同時受賞したもの(たしか)。掲載号の文藝春秋を買い逃したので、図書館で借りたのだが、待つこと半年、今さらながら話題本を読む。

 

メモ

- 芥川賞を受賞した話題作では、蛇にピアス、乳と卵が好きだ。この二作も評価が割れるのでお好みの問題も多分にある、という前置きをしつつ、「スクラップ・アンド・ビルド」はわりとフツーだった。火花だけだとバランス悪いから堅実な作品を抱き合わせたという印象。2番でバントみたいな。

- 男性って、にわか政治ニストがぽちぽち存在していて、非力な人間が大局を吠える図式というか、その辺りうまく表現されていて面白かった。

- 最後、爺さんをどうにかしてしまうのかと思ったら、あっけなく日常に戻っていた。このふわふわ感にがっかりする気持ちは否めず。芥川賞なら、もっと骨太なシーンや結末のすごみを求めてしまう。

- 実母の忌憚ないセリフ回しを除き、ぐさっとくる描写があまり無い。

- 若者と介護という題材が年配審査員に、面白いネ!と思われたんだろうか。

- 読み終えた後、スクラップ/ビルドというタイトルにしっくりこなかった。老人のスクラップ、若者の再生ってことなのかなと思うけど。

- 1歳半のこどもを5、6キロはあるだろう、という描写があって、いや5、6キロって生後3ヶ月くらいだけど、、と思った。わざとボケているのか、よくわからない。

 

 

 

君に届け27

話題の石田さんには、君に届け27巻をぜひ読んでほしい。ちょうど高3の進路決めの時期で、風早くんが「大学に行かせてください!」というシーンがある。そう、こういうのだよ、こういうの待ってました、こういうの理想と思う。

大学でなくとも、資金調達に関しては、儀式、儀礼、というか様式美は踏んで欲しい。たとえば、卑近な例では、おごってもらったら、申し訳なさそうにおずおず財布を出す、または気持ちよくごちそうさまでした!と言うなど。反応は、性格や地域性に寄るから何でもいいんだけど。とにかく、スタートアップで技術がないなら、かわいがられないとだめじゃないかなあ。

自分も人の親なので、自分のこどもが石田さんみたいになってしまったらどうしよう、とすごく考えてしまうのである。石田さんの育ちが失敗とまでは言えないが、その精神性では世の中を生きていくのに茨の道なのは想像できよう。

それから、やりたいことは、たいていすでに始めていることが多い。君に届け、にもそのあたりはえがかれている。すでにやってきたことのなかに、ヒントはあると思う。

 

ココ・シャネル力 学校では教えてくれない77の言葉

ココ・シャネルの愛人人生を知らなかった。

だから水商売の人がこのブランドを良く所持しているのだろうか。だからタイトルが「学校では教えてくれない」なのか。

ココ・シャネルの人生を読んでいると、プラダを着た悪魔の編集長が思い出される。伝記要素もあるので、時系列にまとめてくれれば読みやすいのにと思う。

全体的に本としてはぺらいのだが、著者の八坂裕子さんのことば遣いにときおりハッとなる。奥付を読むと、著者は詩人なのであった。それからところどころ登場するキティちゃんの挿し絵はいったい何だと不思議だったが、版元が株式会社サンリオだった。

メモ

30 よくできた服は誰にでも似合う。

76 香水はどこにつけるかって、決まってるでしょ。キスして欲しいところに、よ。